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2006年12月30日

仕事はやりながら好きになる

大学を卒業する際に、学生諸君は自分に適した仕事が何か真剣に自分と対峙し考えると思います。しかしながら知名度や、待遇のよさに周りの友人と比較をし、そこに勝ち負けの基準を置き、安易に企業を選択してしまう人も少なくありません。

では仕事を選択する時に何を基準にすべきでしょうか。これまでさまざまな学者が知恵を絞り続けているとてつもない課題ですが、その確信は未だ明示できているものはありません。

大学生には好きなことを仕事にしなさいと、過去の経験、つまりクラブ活動やバイトを通して得た「好き」を基準にしなさいと指導をされます。これは決して間違いではありません。しかし、入社した会社ではその仕事がイメージと異なり好きになれそうにないと安易に判断し退職してしまうことも多く見られます。

ここで大切なのは、好きな仕事というのは余程の社会経験がなければ判断できないものであり、最初から好きになれるものではないのです。言葉を変えるなら、仕事はやりながら好きになっていくものだということを基本に置いておく必要があるということです。

自分が本当に好きになれる仕事か否かは、その仕事を通して本当に得られる価値を見据えないと判断はできないはずです。その価値を見つけるにはやはり最低2年は必要ではないかと感じます。

天職という言葉があります。人は自分が望む職業に出会った時、それを天職と思うのでしょうか。決してそんなことはないはずです。この好きと同様に繰り返し、繰り返し、その仕事に取り組み、一定のスキルを身に着けて始めて天職と昇華していくものだと思います。

2006年12月27日

コントロールされたくなければ自分で決める

自分の運命は自分でコントロールすべきだ。さもないと、誰かにコントロールされてしまう。これはあの有名な自動車メーカーGEのジャック・ウェルチ元会長の言葉です。

確かに人は自分で自分をコントロールしない限り必ずと言って良いほど誰かにコントロールされているものです。宗教詐欺では頻繁にマインドコントロールという言葉がよく出てきますが、これなどは誰かにコントロールされている最たる例ではないでしょうか。人は困り果ててその解決策が見えなくなれば当然ながら、誰かに相談をします。また何かに頼ろうとします。その際に巧妙な話術で相談者の心をコントロールする下劣な人種がいて相談者を自分の都合の良い方向にコントロールします。その結果が多くの資産をなくすことになっているケースは枚挙に暇がありません。

人が変えられるものは、未来と自分だけと言われ続けています。人生はそれぞれの人が自分で書くシナリオに基づいて進んでいます。しかしそのシナリオ通りに進まないのが人生でもあります。だからこそその局面においては、更に自分で考え自分で判断をしない限り、人の都合のよい道に足を向けてしまうことになるのです。常に自分で決める習慣を必ず身に着けてください。

2006年12月24日

家族と会社の位置づけ

世の中には、会社は家庭であり、社員は家族であると声高に言う経営者がいます。しかしその一方で、同じ経営者が経営不振を理由にリストラや賃金カットを行っています。

会社は本当に家庭になりえるのでしょうか。私はこのふたつは別な存在であって、求めるものが全く異なると思います。

会社はあくまで自己の成長と研鑽の場であり、営利を追求すべき組織集団であるはずです。家庭はそもそも営利を追求する集団ではありませんので、根本的な役割や責任が違ってきます。家庭では評価ということは必要ではないはずですが、会社ではその評価が基準になっています。単純に言えば、働かない社員は守るべきではなく、がんばっている人には適正に報いていくことが最低のルールとして会社は存在しているということです。

中には家族的経営を前面に打ち出すことで、不当雇用を強いている会社も多々見受けられます。転職をする際に会社を選択する局面が来た時には、この家族的経営と言う言葉を表面化させている企業には要注意しながらその実態をよく観察すべきであると思います。

2006年12月21日

差を受け入れることから始める

格差社会という言葉が一人歩きしています。格差の無い社会に、と政治は唱えます。公立小中学校では、格差が教育の弊害のごとく扱われ、一律的な格差を埋める教育がなされています。

本当に差は人を不幸せにするのでしょうか。差があることが人を卑屈にするのでしょうか。私は決してそうではないと思います。

ソフトブレーンという会社を東証一部企業へ成長させた元代表の宋文洲氏の書籍にも「差はエネルギーをうむ」と記載されていますが、私もその考えには大変共感をします。

人は差を理解することで始めて何かを始める動機が生まれます。大変歌のうまい人を見て、今の自分に無い差を発見し、あこがれることで人は歌手を目指します。テストの結果が隣に席の友人と比べ、半分にも満たない現実を知り、人はがんばろうとモチベーションが沸いてきます。当然逆に落胆し、やる気をなくす場合もあります。それも然り、現実の差を知ることで自分の新たな道を発見するきっかけになるものです。

しかし、この「差」という表現は、誤解をうみやすい言葉でもあります。差が生じているのに個性であると一口に言って出来ないことを放置する姿勢は決して新たな何かを生み出したりしません。人との差は何が原因で生じているのか、どうやれば差がうまるのか、その点をとにかく腑に落ちるまで考え、一度は努力をすることを怠らないでください。その努力が真の差を実感し、その背景を理解することでよりあなたらしさを見つけるきかっけとなるはずです。

2006年12月18日

捨てる勇気、後を断つ勇気

人は何かを始める時、転機を乗り越えようとした時、
なかなかその第一歩が踏み出せずに折角のチャンスを逃してしまうことが多々あります。

行動が起こせない、更には間違った方向に進む。そのような滞留や迷走は何が原因なのでしょうか。
そこには必ずと言って良いほど、これまでの資産が逆に大きな障害となっているケースがあります。資産とは物的な財産以外にもしがらみを含めた地位や名誉、環境、といった自分が勝ち取ってきた心地よいものを指しています。

しかしながら、人が幸せを感じるための器というものは、誰にも一定量であるため、何か新しいものを手に入れるためには必ず何かを捨てなければいけなくなります。金銭的財産を人よりも手に入れた人は、傍からは、多くものを手にしていると見られがちですが、時間的自由が他の人よりも極端に少なかったり、家族とのコミュニケーションが不足したりとその幸せを感じる種は、決して他の人よりも極端に多いとは言えないものです。

決断という言葉は、何かを「断つことを決める」と書きます。文字のごとく人生の転機には、これまで培った地位や環境に固執せず、思い切って捨てる勇気を持ってください。これまでの過去を断つぐらいの覚悟で望む決意をしてください。必ず新たな正しい道が開けます。

2006年12月15日

体育会系学生がなぜ好かれる

これまで企業は採用する学生に対して「何かスポーツをしてきましたか」と必ず聞いてきました。

このスポーツをしてきたかという言葉の裏側には一体どのような意味があるのでしょうか。

運動をしていると規律が身についている、上限関係を弁えている、ひとつのことをやりぬく意志力が備わっているなどと言われると思います。中には、運動をしていれば酒が強い、何事もポジティブに考えるなどと何の根拠もないようなことを唱える先輩がいます。

これらのことは、一口に言えば、会社側が都合のよいように上からの命令に従順に従うという暗黙の理解がそこにあったのだと思います。だから体育会系の学生は好かれてきたのです。

しかし、現在ではそんな単純に学生の頭の中はできていないものです。高度成長期ならまだしも、企業が簡単に解雇をしたり、給与削減をする厳しい社会が到来したことで、学生は企業をシビアに見つめ、単なる都合のよい歯車になっていては、ひとりになった時に世の中を渡り歩く力は身につかない。だから仕事も選ぶし、発言もするようになったのです。企業は、都合が良いから体育会系学生を選択する時代は終わった、と理解しなくてはいけない時代が来たと認識するべきですね。

2006年12月12日

特定・特殊業務の悲劇

生涯自己スキルが向上し続けられる仕事に就きたい、と思う人は多いはずです。

大学の専攻学部も特殊であり就職先も数少なく、周りの友人と比べても特異性があり、誰もがもたないスキルやノウハウが身についている。このような特殊技術というのは、その実諸刃の刃だということをお伝えしておきたいと思います。

確かに終身雇用を考えているのならそれは正解ですが、一度転職を考えた瞬間にとても転職が厳しい現実に直面します。ニッチな業界であれば、当然地方にUターンする場合は、会社そのものが無いケースが多々あります。また小さな市場であるために同業転職は、色々なシガラミで難しくなることも想定できます。その結果同業への転職が厳しいからと言って、キャリアチェンジを図ろうとするが、なかなか転用できるノウハウやスキルではないために一定の年齢になってからの転職がとても厳しくなるという現実が待っているのです。

人がなかなか身につけられないスキルが求められる業界では、その技術以上に人間力を磨いておく必要があるということです。マネジメントや営業などといった多様化できるスキルの向上も平行して体験していくことで、その将来の幅を広げることになります。

今一度専門特化という言葉の裏側をお考え頂きたいと思います。

2006年12月09日

声をあげて責任を持つ

仕事に対する意識が高くなった若者は、入社した企業の上司が仕事に真剣でないと感じた瞬間にすべてが嫌になるようです。

「何でこんな上司に使われなくてはいけないのか」「もっと真剣に働こうよ」などと感じることが年々増えているような気がします。これには企業側が反省すべきことも多々あります。

しかし、若者たちにも多くの問題があります。それは日々の気に入らないことに対して、気にいらないからその場を去るという方法以外に取るべき手段を考えてないことが問題です。気にいらないなら、まず気に入らないことを声に出してみてください。しかしそれが単なる愚痴では誰も聞き耳をもってはくれません。不満や疑問に対して改善策を同時に声にしてください。そしてその改善策に責任を持って一度は行動を起こす、そしてひとつでいいから責任を持つこと。一度でいいから気にいらないことを声に出し、同時にどうすればいいか提案をし、その解決に責任を持って行動を起こす。そしてそれでも誰もが聞かない、動かないならその時は、喜んでその場を立ち去ればいいと思います。

卑怯なのは声に出さないで、その場を去ることだと是非理解をして頂きたいと思います。

2006年12月06日

自分探しがなぜ始まるのか

フリーターが増える。ニートが増える。定職を持たない若者になぜ正社員を目指さないか、なぜ働かないか率直に聞くと、多くの若者が「何をしてよいかわからない」「何に向いているか見つからない」などといった答えが決まって返ってきます。今風に言えば誰もが「自分探しをしている」ということなのでしょう。

さてこの自分探しですが、なぜこんなにまで混迷し、多くの若者が迷い続けるのでしょうか。働きたくないから、怠けたいからという若者はほんの一部であって、逆に働くことに真剣で、「仕事に対する意識」がかなり高い若者が多いのが実態なのです。

より企業の採用が厳しくなり、より明確な志望動機を求められるようになってからというもの、学生はやたらとその働く目的を考えさせられるようになりました。その結果、働くということにかなり高い意識を持つようになってきたのです。そして実際に大学時代に明確なキャリアプランをもって就職活動をします。

しかし、企業側が採用ラインを高くした割には、採用後の業務は先輩の嫌がるルーティンワークであったり、意味のない作業が続きます。

このギャップを皆さんはどのように考えられますか。当然嫌になりますよね。

そのために結果として退職となり、そこから自分探しの長い旅が始まるのです。この採用ハードルと実務のギャップがなくならない限り、若者の迷走は終わらないのではないでしょうか。

2006年12月03日

派遣で未来を潰す会社

企業はいつまで派遣労働者の受け入れを増やしていくのでしょうか。派遣労働者を増やしルーティンワークは派遣労働者に任せ、重要事項は正社員に集中させる。そうすることで、実質の労働がかなり激務になる。それらの環境の悪化が、正社員の退職を増進させていく。この悪循環が10年も続くと、一体企業に真の技術やノウハウを保有した社員がいつの間にか存在しなくなるはずです。

そのことに経営者は気づいているのでしょうか。このまま派遣労働者を増やし続けることが、自社の未来を潰してしまうことになるとなぜ考えないのでしょうか。バブルを経験した全国民が、また土地投機に手を出し始めている現状を見ると、何度も人は愚かな失敗を繰り返してしまうのかもしれません。バブル時代に突入する10年前、昭和50年後半に採用を極端に控えた企業がバブルの時にどれだけ採用に苦慮したか、誰もが忘れてしまったのでしょうか。

今一度雇用とは何か、働くとは何か、一人ひとりが考えなくてはいけない時が来たように思えてなりません。