真の成果主義とは
ここ数年成果主義に走り多くの失敗を繰り返してきた大企業が多数あります。
これまでの年功序列という古い評価制度では、社員のモチベーションを創造することは不可能であり、年齢に関係なく能力に応じた評価をしなくては個人の能力を埋もれさせてしまう、多くの企業はそのような理屈から成果主義を導入していきました。
しかしながらその結果はどこの会社も惨憺たる結果を招いてしまいました。
大手PCメーカーでは、その存続さえ危ぶまれるほど人材の流出が起こりました。また結局賃金増加を発生させ、収益に大きな打撃を与えた企業は枚挙に暇がありません。
これらの結果から成果主義はそもそも日本と言う国、文化に合っていなかったという答えを明らかにしたようにマスコミは報じていました。しかし、本当にそうなのでしょうか。
確かに外資系のようなドラスティックな成果報酬は馴染まないかもしれませんが、激変する環境の中、ある程度の成果主義は皆が望んでいるように思えます。
では何がそこに欠落しているのでしょうか。
それは自由采配がそこに存在しているか否かということではないでしょうか。成果を求めるなら、一定以上の自由がそこになければ人はその自己責任を取ることができません。
分かり易く言えば、責任だけ与えて自由に判断することは厳禁、その上で成果を出せと言えば当然行動範囲が限られ成果の個人格差は然程発生してきません。そのために成果主義を唱えても意味がなくなるのです。
人は与えられた自由範囲でしか責任を負えないものです。成果を求めるなら、そこに必ず自由が必要になるのです。